prehension

「抱握」と訳される。「抱握」はホワイトヘッドが作った術語であり、『過程と実在』では、「関係づけられてあることの具体的事実」(PR 22)と言い換えられるが、発展史的起源は、必ずしも意識を前提しないような知覚という意味で、「非認識的把握uncognitive apprehension」に遡ることができる(SMW 69)。『科学と近代世界』によると、“apprehension”には意識が含意されることもあるから、必ずしも意識を含まない用語として“prehension”という術語が採用された。『科学と近代世界』ではこれ以上の説明がないのだが、のちに『観念の冒険』では、ライプニッツの「統覚apperception」の用法を参照して抱握の用法が説明されている(AI 234)。すなわち、ホワイトヘッドによれば、ライプニッツは、意識を含むわけではない「知覚perception」に接頭辞apを加えて統覚apperceptionという用語を用いたのだが、これらの用語は「意識consciousness」という考えに密接に結びついているばかりか、ホワイトヘッドが拒否する「表象的知覚representative perception」という考えにも巻き込まれてしまっている。そこでホワイトヘッドは、ライプニッツとは逆に“apprehension”からapを取り去り“prehension”という術語を用いるというのである。つまり、意識とか表象的知覚を暗示することなく、意識を伴う以前の非認識的把握を一般に表現する術語として抱握が採用されたというわけである。『過程と実在』では、「意識は経験を前提するが、経験は意識を前提しない」(PR 53)と述べられるように、意識的経験は、抱握としての経験のある高次の相において成立するに過ぎない。

『過程と実在』で、「感受feeling」は「抱握(prehension)」の一種、すなわち「積極的抱握(positive prehension)」と定義される(PR 23)。

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