S. アレグザンダー

◆サミュエル・アレグザンダー, Samuel Alexander(1859-1938)

[伝記]
イギリスの哲学者(出身はオーストラリアシドニー)。F. H. ブラッドリーの観念論的形而上学に対して、実在論的な形而上学を展開した。主著『空間、時間、神性』(1920年)では、時空から物質、生命、神性が創発するという創発的進化論を提唱した。ホワイトヘッドは、『科学と近代世界』の序文で、アレグザンダーに多くを負っていると述べており、ホワイトヘッドの永遠的客体論や神論は、アレグザンダーの『空間、時間、神性』を批判的に超克する中で影響を受けたと考えられる。

[概要]
『空間、時間、神性』という表題が示す通り、アレグザンダーは独自の時空論を展開し、それをもとに進化も説明しようとしていた。その時空論によれば、時間と空間は本来一つであって、時間と空間が分離されていない「点‐瞬間point-instant」あるいは「純粋出来事pure event」のみが存在する(STD I-48)。それぞれの「点‐瞬間」あるいは「純粋出来事」は部分的な有限の時空であり、連続的全体としての無限の時空の限定であると考えられる。

アレグザンダーの形而上学では、連続体である無限の時空こそ真の実在であるが、この時空は実体ではなく、有限な諸現存がそれから作られるところの素材stuffあるいは質料hyleである(STD I-144n., I-341)。実体という身分は時空の複合体である有限な現存existenceに割り当てられており、実体的同一性をもつ個体が恒存するのは、ある瞬間において諸々のパターンが反復されることによって特定のプランが成立し、そのプランが、持続における種々の相に反復されることによると考えられる。
但し、時空がプランをもつのは普遍がそれ自体として存在するからではない。普遍はパターンあるいは時空的形相とも呼ばれるが(STD I-214)、不変的で永遠的な存在ではない。アレグザンダーは、普遍は変化せず不動で永遠的であると考えたことはプラトンやピタゴラス派の欠陥であると批判し、経験的なパターンの反復の内に普遍を見出す(STD I-226ff.)。

さて、こうした形而上学において、進化は、新しい質をもつ現存が時空からその複合体として創発することによると考えられる。創発とは、構成要素の数的・量的な和ではなく、新しい質的綜合であり、時空の運動から物質が、物質から生命が、生命から心が創発して宇宙が進化すると説くのが創発的進化論である。時間と空間をアプリオリな感性の直観形式としたカントとは対照的に、アレグザンダーは、時空から心も生み出され、時間が心の形式というより心が時間の形式だと言う(STD II-43f.)。時間と空間は本来一つであるが、時空の一つの側面である時間は「成長の原理」(STD II-346)として新しい現存を生み出す動性を孕んでいる。

では、新しい質をもつ現存はどのように創発するのかといえば、様々なパターンの組織化によって新しいパターンをもつ時空的複合体が生じるからだと答えうる。だが、この説明は質の創発それ自体を説明しているわけではない。例えば心は生理的布置である中枢神経系、特に大脳なくしては生じないがそれと同一ではない。生理的パターンがいくら複雑になったところで上位の質たる心性=意識性は創発しえないからである。つまり、時空のパターンは複合化しても時空のパターンなのであって、新しい質それ自体をもたらすわけではない。

この点についてアレグザンダーは、時空全体である世界には新しさへと向かう「衝動nisus」があると論じるとともに、時空を越えた未知の新しい質を「神性deity」と呼んだ。無限の時空は、その一つの側面である「時間の不休の運動」(STD II-348)によって新しい質の創発に向かい、有限なる現存を生み出していく。無限の時空は、心を生み出すまでに至ったが、心が最後の質であるとは限らない。時空の運動から物質、物質から生命、生命から心が創発したように、進化的宇宙論にもとづく「類比」に従えば、時空にはさらなる高次の質へと向かう衝動がある。その質こそ神性に他ならない。

神性はいつも、その時代の世界における最も高次の現存を越えた質となるところのものである。例えば未だ心が創発していなかった宇宙における、より高次の質も神性と呼ばれえたのであって、時空が無限の時間によって向かうところの、より高次の質が一般に神性と呼ばれる。

(吉田幸司 「過渡期ホワイトヘッドの神論―アレグザンダーの創発的進化論と対比した発展史研究」, 『プロセス思想』, 第15号, 日本ホワイトヘッド・プロセス学会, 2012, 127-138.の一部を抜粋。)

[主要著作]

  • 『道徳的秩序と進歩』Moral order and progress : an analysis of ethical conceptions, London : Trübner & co., 1889. (English and foreign philosophical library.)
  • 『ロック』Locke, London : A. Constable, 1908.
  • Foundations and sketch-plan of a conational psychology, Cambridge, [Eng.] : University press, 1911.
  • The basis of realism, London : Oxford university press, 1914. (Proceedings of the British Academy ; 6.)
  • 『空間、時間、神性』Space, time, and deity : the Gifford lectures at Glasgow, 1916-1918, London, Macmillan, 1920.
    STD: S. Alexander, Space, Time and Deity. Vol. I, II, Macmillan, 1966.
  • 『スピノザと時間』Spinoza and time, London, G. Allen & Unwin, ltd., 1921.
  • Art and the material : the Adamson lecture for 1925, Manchester : The University Press; London, New York : Longmans, Green and co., 1925. (Adamson lectures.)
  • Art and instinct, Oxford, 1927.
  • Artistic creation and cosmic creation, London, 1928. (Annual philosophical lecture, Henriette Hertz Trust ; 1927.)
  • The art of Jane Austen, Bulletin, Manchester, 1928.
  • Spinoza : an address in commemoration of the tercentenary of Spinoza birth, Manchester : Manchester University Press, 1933.
  • 『美と他の形式の価値』Beauty and other forms of value, London : Macmillan and Co., Limited, 1933.
  • Philosophical and literary pieces : by Samuel Alexander, London : Macmillan, 1939.

[関連文献]

吉田幸司. 2012. 「過渡期ホワイトヘッドの神論―アレグザンダーの創発的進化論と対比した発展史研究」, 『プロセス思想』, 第15号, 日本ホワイトヘッド・プロセス学会, 127-138.
吉田幸司. 2014a. 「ホワイトヘッド形而上学の意義―F. H. ブラドリーおよびW. ジェイムズと比較して」, 『理想』, 第693号, 理想社, 121-134.
V. Lowe. Understanding Whitehead, The Johns Hopkins Press, 1966, pp. 264ff. (アレグザンダーとホワイトヘッドの比較研究は十分になされていないが、ローは伝記的観点から研究している。)
R. G. コリングウッド 『自然の観念』、平林康之・大沼恵弘訳、みすず書房、1974年、244~273頁。(コリングウッドは両哲学の批判から自身の歴史哲学を展開した。)
遠藤弘 「S. アレグザンダーとA. N. ホワイトヘッド―その形而上学的時間論を中心にして」 『イギリス哲学研究』第2号、日本イギリス哲学会、1979年、5~13頁。
ジャン・ヴァール(Jean Wahl) 『具体的なものへ―二十世紀哲学史試論』、水野浩二訳、2010年、月曜社。

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