T. リード

◆トマス・リード, Thomas Reid(1710-1796)

[年表]
1710 長老派教会の牧師の息子として、スコットランドのアバディーン近郊に生まれる。
1722-1726 アバディーンのマーシャル・カレッジに入学し、一般教養を学ぶ
1731 牧師の資格を得る
1737 教区牧師を務める
1751 アバディーンのキングス・カレッジの教師となり、哲学や倫理学を講ずる
1758 アバディーン哲学協会を設立する
1764 アダム・スミスの後任として、グラスゴー大学の道徳哲学の教授に就任する
『常識に基づく人間精神の研究An Inquiry Into the Human Mind on the Principles of Common Sense (or ‘IHM’) 』を出版
1780 著作活動に専念
1785 『人間の知的力能論Essays on the Intellectual Powers of Man (or ‘EIP’)』を出版
1788 『人間の能動的力能論Essays on the Active Powers of Man(or ‘EAP’)』を出版
1796 グラスゴーで死去

[概要]
・思想史的特徴
 ・常識哲学は、ハチスンの「モラル・センス」の概念に依拠した道徳哲学から発展した。
 ・カーマイケル→ハチスン→スミス→ミラーに受け継がれるグラスゴー大学の自由主義の伝統をスコットランド啓蒙の本流とすると、リードのそれはむしろ亜流。
 ・ケイムズ卿、リード × ヒューム、スミス 人間論と道徳哲学、実践倫理学の戦い
 ・シャフツベリ的、共和主義的な洗練されたストア主義→クセノフォンの語るソクラテス、キケロの『義務論』の重視
   道徳は公理であり、その原因や起源、本質について哲学的思索を試みることは無意味≒共通感覚
 ・圧倒的なベーコン主義。実験と観察によって自然法則を発見するものとしての科学。
・「恒常的随伴」や「記号」という点でヒューム哲学に依拠。ジョン・ロックやバークリへの批判。
 
・影響
 リード『人間精神の研究』[1764]
 ビーティ『真理論』[1770]:ヒューム批判、ベストセラーに。
  →ここまでは、あまり影響力は無かったが、「コモン・センス革命」が1785年に起こる。
  リード『人間の知的力能論』[1785]、『人間の能動的力能論』[1788]
  →この二つの主著によって、リードの哲学がヒューム懐疑論の論駁にとどまらない学問的・科学的研究方法であることを主張し、同時に、エディンバラ大学でD.スチュアートがコモンセンス哲学の一般化をはかった。それは、複雑なリードの形而上学の明確化・洗練化・体系化・実際の生活への応用であった。
  →ムーア、パースのプラグマティズム、オースティンの「日常言語」、記号論、パトナム、ギブソン、ダーウォル

哲学
・常識は理性の一部である
 自明な事柄を認識することは、理性の働きであるとされる。しかしこれは、厳密には常識のはたらきであり、その意味で常識は理性の一部と考えられる。
 →常識を「理性的能力」として考える合理主義者的発想
  →しかし、常識は「感覚sensation」であるから合理主義者とも一線を画している
   →それでも、常識は判断や信念を含んでいるから、その立場は、感情主義とも異なっている
従来の合理主義者や感情主義者が乗っかっていた観念論にリードは参加しない。
第3の立場を取っており、これが常識学派の最大の功労者であるゆえん。

 われわれは、理性には二つの任務ないし二つの段階があると考えている。第1は、自明な事柄について判断することであり、第2が、自明な結論から自明でない結論を引き出すことである。これらのうちで第1のものが、常識の職分、しかも唯一の職分である。それゆえ、常識は、全体にわたって、理性と一致するのであり、理性の一つの部門ないし一つの段階の別名に他ならない。
(『人間の知的力能論』 第6試論第2章)

(本ページのコンテンツは、本ウェブサイトの管理者の主宰する英米哲学研究会で作成したものです。特に本ページの作成に際しては目黒広和さんに協力して頂いています。)

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